豊臣秀吉の九州平定後、肥後国は佐々成政に与えられたが、佐々成政の強引な政策に反発し、天正15年(1587年)隈部親永が兵を挙げて肥後国衆一揆の幕が開け、その最後の砦となったのが和仁氏の居城・田中城で現在その跡地「田中城跡」は国の史跡に指定されている。
日本最古の城攻め絵図「辺春和仁仕寄陣取図」には九州、四国の名だたる大名がびっしりと田中城を包囲してるのが記載され、田中城は辺春氏の裏切りもあって天正15年(1587)12月5日に落城。佐々成政は一揆の責任を取らされ切腹。翌年から加藤清正が肥後の新しい領主となる歴史の流れ。
本丸への入口にあたる復元された冠木門
ツゲの木は当時の柱の位置と壁の広がりを表している
和仁三兄弟の石像(県道195号線沿い)歴史と文化のふれあい広場
2019年4月にオープンした田中城ミニミュージアムは、旧春富小学校の一教室を再利用。田中城跡から出土した遺物展示や田中城での戦いの様子を再現したジオラママッピングが無料で見れるガイダンス施設。
和水町では毎年2月、和水町多目的広場で田中城を舞台の壮絶な戦いぶりを讃え顕彰するイベント(戦国肥後国衆まつり)が行われてる。
田中城ミニミュージアム
玉名郡和水町和仁
電話:0968-34-3047(和水町教育委員会社会教育課)
開館:10:00~16:00
休館:火曜日
料金:無料
田中城跡(和仁城跡)は24時間開放
カーナビ入力情報:69 596 203*13 (マップコードとは)
田中城跡(下)普通自動車はここに駐車
田中城跡(下)~(横)まで凡そ300メートル
田中城跡(横)へは道幅が狭いため普通自動車では通行困難
田中城跡(横)
最終更新日:2023年1月4日